ある日、仁瓶利夫氏より下記のメールが届いた
この度、フランスのパンの日本一小さな資料室を開設することにしました。
日本に本格的なフランスパンを伝来したカルヴェル教授の書籍やレポートを始め、フランスのパン(フランス語でパン・フランセ)のアーカイヴ(フランス語でアルシーヴ)としては日本で唯一無二と自負しています。
しかしながら、なにぶんにも団地の狭い一部屋なので、期待せずに冷やかし気分でいらしてください。
ドイツ製バハテル社の小型オーヴンを設置したので、焼きたてパンをご用意してお待ちしています。
記
〒234-0054
横浜市港南区港南台 6-1
めじろ団地 29 号棟 104 号室
(アクセス)京浜東北線 港南台下車
徒歩 13 分(遠くて申し訳ありません)
私の自宅と同じ団地内の別棟になります。
オプショナルツアーとして、みなとみらい地区の展望や丹沢山系、富士山、箱根連山、相模湾が一望できる円海山ハイキングも可能です(笑)。
では、狭い資料室ではありますが、皆さまのお越しを心よりお待ちいたしております。
Archives du pain français en hommage au professeur R.Calvel
代表 仁瓶利夫
━今回は「Archives du pain français en hommage au professeur R.Calvel 」開設おめでとうございます。はじめに資料室を開設された理由からお聞かせください
仁瓶「私のセミナーに参加したことがある方はご存知かと思いますが、セミナーの内容に合わせた資料を会場に持ち込んでいます。ダンボール3箱位を持ち込みますが、セミナーの度にあの話をしよう、こんな話もしようと整理していくと、この資料を形あるところで見てもらいたいと思うようになりました。」
─なるほど、私もセミナーの時にフランスの本や資料を拝見したことがあります
仁瓶「フランスで出版された本を翻訳してもらったものの中には、初めて知る内容が多かったのです。フランス革命より前に出版されたアール ド ラ ブーランジュリ(マルーアン著 国内では仁瓶氏のみ所有)には、1767年代に、丸いパンとともに細長いクープの入らないパンの絵が描かれています、バゲットのルーツとなったパンがそこに描かれているわけです。」
─そうした下地を経て2014年に著書「ドンク 仁瓶利夫と考える Bon Pain への道」を出版されたのですね
仁瓶「先ほどセミナーに資料を持参するという話をしましたが、私のセミナーのアイテムは発酵時間が長いものが主なので、その時間で何か伝えられないかと考えて資料を持参しているわけです。ただセミナーはパンを作ることがメインなので、資料について、満足のいく解説も出来ないまま終ってしまうこともありました。そういったこともあり閲覧できるような場所が必要と考え方々に打診していました」
─本を制作されている当時はセミリタイアされて時間に余裕が出来たわけですから趣味の自転車や山登りなどに没頭とはいかなかったのですか
仁瓶「現役の頃は休みに自転車で走りに行って、帰りには次に行ってみたい場所の地図を眺めていました。セミリタイアした時はツーリングに没頭出来るかと思っていましたが社外のセミナーの依頼が増えてしまってそうもいかなくなりました」
─日本パン技術研究所のリテイルアドバンスコースは仁瓶さんのワンマンショウセミナーの翌年から始まったと聞いています。社外からの要請が増えるのは分かるような気がします。資料室の話に戻させて頂きますが、貴重な本や資料ばかりですからきちんとした形で閲覧してもらうのが理想だと思います
仁瓶「レイモン・カルヴェル教授の著書も置いてありますが、サイン入りのものなど貴重な蔵書があります。教授の本は版が進むにつれ記述が増えて厚くなっています。そういった貴重な本も蔵書しているので自分でもどうしたものかと思案していました」
─知識を深めることも技術向上に繋がると思います
仁瓶「カルヴェル教授が日本で行った講習会のルセットを時系列の変遷として資料にまとめて出版したことがあります。資料を調べていくと3時間発酵法より長い発酵時間の製法があることが分かります」
─仁瓶さんの本にも長い発酵時間のフランスパン製法が描かれていますね
仁瓶「今の職人たちの興味はそこではないのかもしれませんけどね。時代的にも今のフランスパンが出来れば良いという考え方なのかもしれません。職人たちはそれで完結してしまっています。永六輔氏が残した言葉で「来た道を振り返ることで行く道を迷わない」という言葉があります。皆さん来た道を振り返 らずに明日の新製品にばかり目を向けています。パンは口で食べるもので美味 しいものにストーリーは要りません。現代のメディアもストーリーを作りたがりますし、販売する側もそういうものを欲する傾向があります」
金子千保氏制作による資料室看板(寄贈) |
─貴重な資料のみではなく、そういったお話も聞けるという資料室ですが、ご自宅も近くてパンを焼くのにも支障のない距離ですね
仁瓶「昨年暮れ、この敷地内に空き物件が出たと聞いたので、ウチのと見学に行きました。その部屋は予想とはかけ離れた部屋でした。不動産屋には気がのらないことを告げ『1階だったら買いたかった』と話しました。すると『1階の物件ならあります』と言われ、『敷地内でも遠いところでは』とも話しました。そこで自宅と離れていないここを紹介されました。最初に見た物件の後だった ので、半信半疑な気持ちで見にいくとこの部屋がスケルトンで販売されていたのです」
─第一印象は如何でしたか
仁瓶「広く見えましたね。完全リタイアの時の為に、高岡の「そば蕎文」店主の今井さんにオーダーして作ってもらうことになっていたワークテーブルが頭の中を過りました」
※ 「そば蕎文」
仁瓶氏が技術顧問を務めるパン・ド・ロデヴ普及委員会に受講生として参加され、交流が始まり親睦が深まった。
(アートワークスタディオ・AN /そば蕎文
http://www2.tcnet.ne.jp/an-an02/top.htm)
今井武文さん、鍋谷安津子さん夫妻が営む蕎麦屋とうつわのギャラリー。
もともと家具業界出身の今井氏だが現在は「そば蕎文」を営んでいる。
店内は洗練された空間で契約農家直送の蕎麦粉で手打ちした蕎麦が評判である。
今井氏の木工の仕事を見て仁瓶氏はこの人にお願いしたいと決めた。
─ロデヴの会で交流が生まれたのですか
仁瓶「このワークテーブルは自宅から歩いて30分の実家に配置を考えていたのですよ。発注したもののなかなか具体化しませんでした。今井さん夫妻とは 自転車で走ったり、山にも出掛けたり、交流はひんぱんにしていたのですが、催促はぜず待っていました」
─職人同士の空気感を感じます
仁瓶「ワークテーブルは日本のヤマザクラ、書棚下もアメリカンダークチェリー同じ桜です。850の高さはパンを作るためのワークテーブルとしてオーダーしました。色合いも気に入っていますし、土台も栗の木を使って床材の色調から今井さんが考えてコーディネートして作ってくれました」
─ツーリングでご一緒しているうちに仁瓶さんの好みを今井さんが察したのでしょうね
仁瓶「テーブルに『Toshio Nihei』と掘られていますが、これはクープ・デュ・モンドで関係者にディプロマが配られたことがありました。その時にジェフリーハメルマン夫人の金子千保さんが 書いてくれたものを見本に掘ってもらいました。『i』がサンドブラストで掘ると実物より太くなってしまうと懸念する熟練の職人が掘ってもらったものです。 それくらい気を遣ってくれる職人が掘ってくれたと非常に満足しています」
─職人さんが仕上げたワークテーブルはこれから風合いで出てきそうですね。さて資料室はどんな方を対象に考えていらっしゃるのでしょうか
仁瓶「パン職人、ブーランジェが対象です。フランスのパンに興味のある職人なら尚良いです。製パン従事者とでも言いましょうか。私はこれまで、仕事は厳しいのは当たり前だがその中で『パン作りは面白いだろ』ということを伝えてきたつもりです。以前、上司に疑問をぶつけても教えてもらえないという女性技術者とメールでやり取りしたことがあります。何度も質問され、時には質問の意味も分からないと返したこともあります。ある時パンの気泡の中に自分が入って見てみたいと思ったと返信が来て驚きました。そんな表現をされたのは初めてでした。キャリアを積んでいくと疑問を持つのは当たり前です。上司は部下の疑問に答えるのが義務ですし、自分が勉強してでも共有していくべきだと考えています」
ドイツ製バハテル社オーヴン(寄贈) |
─先ほど仁瓶さんがお話された明日の新製品ばかり追い求めるのは如何なものかという話にも繋がるかと思います。資料室はパンも焼けるようになっていますが
仁瓶「ここは本来「Archives(アルシーブ)」資料室と呼んでいます。バハテル社のオーブンもあるのでアトリエという考え方もあります。リュスティックなら焼けますので、食べながらパンの話が出来ます。ワインやシャルキュトリも用意してあります。拝観料などは取るつもりはありません」
─これからはここが仁瓶さんの活動の拠点となるのですね
仁瓶「フランスのパンの変遷を講義出来るようにプロジェクターも用意してあります。フランスパンが日本にお披露目されて50年経過しましたが、定着したとは到底思えません。フランスのパンは調べれば調べるほどこれまで伝わってきたフランスパンと呼ばれるものは一部に過ぎないことが分かりました。これからは今まで調べた内容をまとめ伝えていかなくてはなりません。藤井幸男氏はフランスのパンをパン業界に公開し、カルヴェル教授の技術を業界全体に伝わるようにしました。製パン業界のクオリティが上がれば、ドンクも一緒に学んでいけば良いというスタンスだったのです。カルヴェル教授の足跡を調べると藤井幸男氏の存在が浮き彫りになってきて改めて藤井幸男氏の功績を見直しました」
─仁瓶さんもその意思を継いでいるということですね
仁瓶「パン作りの面白さを伝えていきたいですね。パン作りは大変だけど面白いはずです。歳を取っていくと間口を広げる人もいますけど私はそういったことはせずフランスのパンだけを追い続けました。セミリタイア後も、色々と調べることが出来て、調べれば調べるほど面白いと感じました。翻訳を手伝ってくれた竜瀬加奈子さんも(2014年に発表された著書『ドンク 仁瓶利夫と考える Bon Pain への道』の際にフランス関係者との通訳を担当)『面白いですね、面白いですね』と翻訳を手伝ってくれました。彼女はパンの基本が分かっているので通訳をお願いしました。あの時は締切もありましたので時間に限りがありました。調べたいことはまだ山ほどあるのですよ」
仁瓶氏はレイモン・カルヴェル教授へのオマージュを込めて、ここに資料室を作ることを決断した。カルヴェル教授の功績を後世に伝える役目を担っていくつもりと語った。
資料室訪問希望者は下記までメールにて問い合わせください
仁瓶利夫氏 プロフィール
1947年神奈川県出身
1970年株式会社ドンク入社
ドンク青山店フランスパン工場配属
その後静岡西武店、銀座三越店に勤務。
1983年フランス研修などを経て、
社内外にて講習会で活躍する。
同社にて技術指導にあたり
2007年セミリタイアを機にフランスのパンに関してそれまで以上の調査を開始する。
2014年には著書である「ドンク 仁瓶利夫と考える Bon Pain への道」を発表(旭屋出版)。