2022年5月17日
パン・ド・ロデヴ普及委員会 技術講習会
レポート
同会は2012年に活動期間を10年間と限定し、パン・ド・ロデヴの普及とロデヴを通じて豊かな食文化の継承を掲げ、
技術講習会を軸に作り手のみにあらず、食べる側も参加出来るパンの会としてスタートした。
同会HPhttp://lodevepain.org/index.html
今回紹介するアイテムに関するレシピは下記の著書に載っておりますので参照ください。
https://asahiya-jp.com/book/9784751112014/ (ドンク仁瓶利夫と考えるBon Painへの道)
https://asahiya-jp.com/book/9784751111666/ (これ1冊でわかるパン・ド・ロデヴ)
この日は同会技術顧問仁瓶利夫氏(ラトリエ・ドゥブテイユ)を講師に迎え、技術講習会が開催となった(zoom配信も有り)。
私の著書「Bon Painへの道」の「Bon Pain」とは外観がきれいなパンではなく、食ってうまいパンを「Bon Pain」と呼びたいと思っています。
会場/「パエザーノ」
〒421-0205 静岡県焼津市宗高1510-3
TEL 054-662-2260
営業時間 平日18:00~22:00 土日祝11:30~15:00 17:00~22:00 定休日火曜日
「パン・リュスティック」
講習会は午前8時から前日仕込んで冷蔵庫でひと晩置いた「パン・リュスティック」のカットからスタートした。
このパンは油圧の分割機にかけてカットし、成形をせずに焼くパンですが、今日は手切りで分割していきます。
分割や成形の時に生地を叩くのが駄目だと言う職人がいますが、叩いたからガスが抜けるわけではありません。
指だけでぎゅっと生地を潰せば抜けますけど、叩くのは表面を張らす、テンションをかけてやるのが重要です。
今はこの手のパンは、山ほど街中に有りますが1983年当時、油圧の分割機にカットしただけで、成形しないで、そのまま布ホイロに並べて焼くというパンはありませんでした。
レイモン・カルヴェル教授が1983年春に考案したパンです。
私は1983年秋にこの「パン・リュスティック」に出会いました。その後、リュスティックのヒントになったのが「パン・ド・ロデヴ」だったということをカルヴェル教授の著書で知り、
1997年にM.O.Fであるジャック・スイヤー氏の研修を受けた際に氏にメニューには無かった「パン・ド・ロデヴ」をリクエストして実演してもらいました。
長い道のりでしたが、私の中ではパン・リュスティックの巡礼街道がそこで繋がったのです。
一部メディアが、リュスティックやロデヴを高加水のパンとして紹介をしていますが、それは見当違いです。成形もしないで窯の中でグッと伸びるパンがリュスティックなのです。
そしてリュスティックよりも吸水が多いロデヴと出会って、ロデヴにもはまリました。
97年にパン・ド・ロデヴに出会ったわけですが当時は、すぐに作れるような技術は持ち合わせていませんでした。
カルヴェル教授がパン・リュスティックを考案した時にヒントになったのがロデヴの街のパンパイヤスです。吸水が多く、生地計量もランダムに切って自由に焼く、もちろん大小も出ます。それで焼き上がったパンは製品の重量を測ってかけ算して生地単価を決めていたそうです。だから1本ずつそれぞれ値段も変わってきます。昔はクラストの上に直に鉛筆でプライスを書いていたそうです。
鍋に石を入れて窯の中に置き、カンカンに熱しているわけです。そこに長柄杓で熱湯を掛けます。生地を入れた後に一番奥にある石にお湯をかけると蒸気がバーっと出ます。そのシーンをこれから見てもらいます。薪は1回片付けてそこにパン生地が入ります。昔はこういうタイプの石窯が多かったから、当然炭がついたりしていましたから、パン屋の見習いは焼けたパンをブラシで余計なものをはらうのも仕事のひとつでした。
「パン・リュスティック」は野趣的なという意味を持ち、手をかけないことと定義しカルヴェル教授が考案しました。それから言えば、成形もしないで窯の中でストーンと伸ばすのは、石窯で焼くアドバンテージもありすが、スパルタ式の生地に育てた生地では無く、自由放任主義で育った生地が窯の中で自力で伸びるわけです。こういうパンを焼くのはパン職人の醍醐味です。
「1930年代のディレクト法によるバゲット」
このバゲットは私の著書「Bon Painへの道」で紹介しました。
何が30年代なのかと言うと、1930年代にパリで出版された「エミール・デュフール」という職人の本の中に出ていた製法です。
パトロンが夜、寝る前9時に生地を仕込んで夜中の2時半に起きてきて、すぐに分割から始められるのです。その時点で発酵時間、ポワンタージュが5時間半とられています。
日本のフランスパンは3時間製法が標準になっているかもしれませんが、フランスでは昔からもっと発酵時間がとられていたのです。発酵時間が長いことが大事なのです。
今は冷蔵庫に入れて100時間も…120時間、発酵させたと言うのを売りにしている職人も居ますけど。5日目にパンになるランニングコストを考えたら、全然SDGsとは言えないですよ。
「エミール・デュフール」の本を参考に試作を繰り返していると3時間発酵のバゲットよりも1930年代の製法のバゲットの方がはるかにうまかった。今ではセミナーで私は3時間製法のバゲットは作っていません。会社にいる時は売れるパンを作れと言われたけど、今はうまいパン作りたいと思っているからです。
今日のバゲットは、ワインセラーを15度に設定してもらい、ひと晩置いて
朝パンチして発酵させ、その後は室温で復温させました。
ドンクは昔からENSMIC(国立製粉学校)のレイモン・カルヴェル教授の成形が基本になっています。
もちろんフランスではそれ以外の成形もありますけど、ドンクはカルヴェル流の成形にしています。
パン屋の仕事は「vite et bian(ビット エ ビアン)」『はやく綺麗に』とフランス人は必ず言います。
いきがった店は綺麗に綺麗というところばかりにこだわり「ビアン エ ビアン」と言って、ビアンばっかり求めるわけです。
ちょっとでもクープが自分の気に入らないと「店に出すな」と。それはパンを食べる人間からすると「何であれ捨てたのか?」と言う事になりますよね。
バゲットはカリカリの食感なら良いというものではありません。生地が過熟なのに気付かず、当然焼き色が薄いのでクラストがカリカリになりクラムがパサついているバゲットをよく見かけますが、1970年当時ドンクのキャッチフレーズのポスターがあって、「皮はパリパリパリの味、中味ふんわり、フランスパン」。バゲットなりフランスパンのキャラクターを言い得た、これほど本質を表しているキャッチフレーズもないと今でも思っています。
でも近年、国産小麦で焼いたフランスパンを見かけますけど「皮はふにゃふにゃ、中身はもっちり、フランスパン」それは日本人の食感として、そっちが美味しいと思う人は多いかもしれないけれどもバゲットという名前で売るなよということです。
ヨーロッパの中で、フランスはパンを守る、良いパンを守ろうとしたのです。
それは職人仕事を守ると言うことでもあります。そういった意味での「パン・デクレ」というパンの政令まで作られているのです。
ドイツはビールの純粋令は有るのですが、ビールに余計なものを入れてはいけないと決められていますが、パンの純粋令がありません。
ライサワーブレッドの生イーストは青天井です。それと比べるとフランスのパン・オ・ルヴァンの生イーストは0.2%までと政令で定められているのです。
「パン・ド・ロデヴ」
捏上げて60分発酵させて最初のパンチ。粉3キロ仕込んで、この大きさの番重に入れて膨らみ方をチェックしていきます。
四隅から折り畳んで生地の強さをみて、この後の作業を判断していきます。そしてもう一度60分後にパンチをし、その後、再度パンチを行って、
今日の生地は強い、弱いなど判断してその後の手当てを考えていきます。「パン・ド・ロデヴ」をフランスで見た人はいますか?
ロデヴの街は南フランスに位置して、山の斜面のオリーブが延々連なっています。
ロデヴは現地で「パン・パイヤス」と言う名前で売られています。パイヤスとは柳の籠のことだと言われています。
土地に残っている歴史の中では仕込んだ後にパイヤスに入れて発酵させたと言われています。
日本人は、必ずパン生地はボックスに入れて発酵をとるから、別にパイヤスに入れて発酵を取るとは何?とクエスチョンマークが100個ぐらい並ぶわけですけど。 向こうではミキサーに1回分の生地を仕込み、それは分割するまでミキサーの中に入れておきます。職人1人でパンを作るわけですけど、日本だと各ポジションに担当者がいるのですが、フランスでは仕込みから始まり、焼き上げまでひとりが行い学び技術を習得していくのです。
先ほど話しましたが、97年にパン・ド・ロデヴに出会ったわけですが、数年が経過したある日、専門学校で外部講師をする機会がありました。2001年にドンクで本を出版しましたが、その中から「パン・ド・ロデヴ」「クロワッサン」「バゲット」を実演しました。その時に翌日外部講師を担当していた「ベッカライ ブロートハイム」の明石克彦さんが前日準備で学校を訪れてきました。当時はまだ市場に出回っていなかったロデヴを見て「何このパン?」と興味を示してくれて持ち帰るとスタッフも「このパンうちでも作りましょうよ」ということになりブロートハイムでも販売することになったようです。
ロデヴの街のパイヤスは細長いトルデュが多いですが、四角くカットしたロデヴは明石さんの考案です。
そのブ当時クープ・デユ・モンド日本代表だった、ドンク菊谷尚宏が本選出場前、ブロートハイムへ研修に入る機会を得ました。
彼はそこでロデヴを学び魅了され、本選のアイテムとしロデヴを選ぶことにしたのです。日本チームが世界一になる大きな原動力になりました。
彼らが2002年に世界一になった、何年か後にアメリカの審査員と話す機会があり、彼はあまり人を褒めないタイプの職人なのですが「2002年の時のクープ・デュ・モンドの日本チームのパンどうだった?」と聞くと「あれはうまかった」と言ってくれました。彼がうまかったと言ったのはロデヴのルヴァンの風味を指していたのではと思っています。
私はルヴァンとルヴュールのマリアージュと、ロデヴを表現しています。
パン・オ・ルヴァンとは異なる風味、ルヴァンとルヴュールの「いいとこ取り」がロデヴといえるでしょう。
パン・ド・ロデヴの2回目のパンチをします。ここは時間通りに作業します。強いかなぁとか弱いかなぁとか考えたら、それに対応したパンチでパンチのタイミングは時間を固定し、行います。
そんなに悪い生地ですね。生地で分かるわけではありませんが、ここまではそんなに悪い状態でははありません。
パン・ド・ロデヴのカットを行い成形せずに、カットして並べていきます。
この番重のサイズで粉 3キロ分の仕込み量で、大体、ちょうど広がってくれます。
いつもこのやり方で作業は進めています。2キロしか仕込めないのであれば、もっと適当なこれより小さい番重で発酵管理を行ってください。
フランスパン生地を縦長の容器に入れて発酵をとる店がありますが、腰高で力を付けるパンではありません。
フランスパンはコシとアシのバランスが大事ですから、そういう生地を作らなければなりません。
私が焼くロデヴはそういうところからするとペッタンコですが、必要以上に力を付けない生地なので、腰高にならずペッタンコにみえるかもしれませんが、
皮がガキッと焼けて、中はしっとり感があってモイスチャーになるよう仕上げてあります。
ロデヴが焼き上がりました。これはひとえに石窯名人の坂下シェフ(坂下朋憲氏)のお蔭でこれだけのものが焼けました。
今日はリュスティックも焼きましたが、今回のテーマである成形をせずに焼くパン。私が40年近く追求してきたのは吸水が多いパンではありません。ジェラール・ムニエに教わったミキシングもかけず、水も多い生地がどうして窯の中で伸びるのだろうと不思議で何十年も掛かっても答えは出ていません。そこにロデヴの街で出会ったパン・ド・ロデヴ、このパンはルヴァンが入るのでリュスティックとは異なる風味になりますが、このふたつのパンは成形をせずに窯の中で伸ばすので石窯にピッタリのパンだと思っていたので、この会での講師をここでやれたのは私にとっては最高の幸せになりました。今日はご清聴有難う御座いました。