パンを楽しむ料理 9 鈴木優子
フランスパン屋研修 3
今回で3回目を迎える鈴木さんのパン屋研修。ちょっと早いですがクリスマスの激務をお届けします。
クリスマスINフランス
12月に入ると町の中心に教会の前に大きなもみの木が現れ、クリスマス用にライトがつけられた。町中のブティック・レストラン・ホテルはクリスマスの飾りでいっぱいになり、クリスマスモードになると同時に「さぁ、これから稼ぐぞ~」という雰囲気が伝わってくる。町を歩いているだけでルンルンした気分になる。メジェーブという町にお金持ちが多く、パン屋にも芸能人が何人か来ていたとスタッフは言っていた。町を歩く人を見ていると毛皮率の高いことに気付く。ここまでみんながゴージャスな格好をしている町は特殊だと思う。もし何かの団体が町行く人の毛皮着用比率を調査していたらメジェーブは世界で3本の指に入るのでは無いかと思うくらい、毛皮の人が多い。
町がウキウキしてくるとパン屋も稼ぎ時。シーズン到来となる。ビエノワズリー部門に戻り、オーナーとあと2人の季節労働者の計4人になった。ビエノワズリーの仕事は全て知っているので12月初旬に来た他の季節労働の2人に色々教えてあげながら作業をする。
仕事量はドンドン増えて、2:00開始だった仕事も0:00開始12:00終了が主流になる。1日14時間労働という日もあった。休憩時間というものはない。休暇もなくなりクリスマス前から17日間連続出勤となった。クリスマスの人の来店客数は半端なく、店の前は常に10m以上(約20人待ち)の行列が出来ていた。
皆さん豪快に買い物をしていく。普通の家庭なのにバゲット5本とカンパーニュを2つ、食パン2つにクロワッサンとパンオショコラを5個づつと言った感じである。さすがパン食文化。クリスマスにはフォアグラを食べるのが定番らしく、フォアグラ用に食パンやブリオッシュを買っていく人も多い。私は深夜労働で疲れていたものの、フランスの食文化を学びに来たので、仕事が終わってからはなるべく店で客の動向を観察していた。スタッフには「誰か待ってるの?」と聞かれ、「人が何買うか見てるの」というと、物好きだなぁって顔をされていたが観察しているのは楽しい。
フランスでのクリスマスは、毎日仲間と一緒にしっかり働き、更にオランダからは兄夫婦が遊びに来た。この2人、よっぽど私の事が好きらしく、11月に一緒にスペインに行ったばかりなのにクリスマス休暇を利用して車(10時間ドライブ)でメジェーブにやって来て3泊過ごした。
私の仕事中はスキーに行き、昼すぎ私の昼寝が終わった頃、穴倉でパンとワインとチーズの宴会をした。夜も1日だけ一緒にレストランで食事をした。25日の夕方、町を歩くと想像以上に人が多く、ゴージャスな格好をした人が行き交い、クリスマスムード満点で盛り上がっていた。町中がキラキラ輝いていた。兄夫婦が一緒じゃなかったら私は確実に穴倉で1人寝ていたので、素敵な夜を知らないでいたはずだ。連れ出してくれる人がいて良かったと思うし楽しかった。一緒に夕飯をし、1時間半の仮眠の後の13時間労働はさすがにきつかったけれど・・・。仕事量が増え、休暇なしでの仕事が続くにつれて、スタッフの心と身体の健康状態も変化してくる。1週間もするとハイテンションになりすぎて、作業場で歌ったり踊ったりしている人も多いし私もラジオに合わせて歌っていた。
10日過ぎるとみんなの顔に疲労が見え、風邪を引く人も出てくる。その後疲れもピークに達しイライラして、言い争いが増える。物をなげあう場面も目にした。私はそんなみんなを観察しながら自分はなるべく穏やかに仕事を淡々と続けることを心がけた。シーズン中はビエノワズリ・パン・売り子・配達係のみんながそれぞれの立場で大変な思いをして店を支えている。みんなで乗り切っていくぞ!!っていう連帯感も生まれ、その空気はシーズン前と明らかに違った。それを感じることが出来て、とても幸せだったし私も一員であることを有難く思った。
普段はスタッフにパン造りを任せて配達や各店舗管理などに徹しているオーナーはシーズンになると2:00出勤をして石釜の前で必死にパンを焼く。1日約15時間と誰よりも働くオーナーが店の中心にいるからみんなが付いて行くのだと思う。
私自身は健康管理をしっかり行い、仕事が終わったら家に帰り、シャワーを浴びて晩酌をして15:00には寝ていた。正に仕事・食事・睡眠のみの日々。時間節約の為、3分のシャワーでシャンプー&リンスと身体洗いをこなすようにもなった。疲れた日は洗面器にお湯を入れ、足湯をしてリフレッシュした。家での食事は1回だけになった。
作業中は甘い物としょっぱいものを交互につまみ、まるでバイキング状態で色々な物を食べていた。自己管理はしっかりしていたので、心も身体も健康にハードな日々を乗り切ることが出来た。30歳とは言え、まだ体力は衰えていないかも?と喜んでみたけれど、気力で乗り切った気もする。
* 2006-2007年・年越し
クリスマスに引き続き、年末年始は稼ぎ時。通年で一番売れる日が年末年始らしく、オーナーはかなり気合が入っている。
クリスマス前から1月の2週目まで休暇無しで働く上、仕事の開始は2:00から0:00にそしてついには23:00となった。早起きの枠を超え、夜勤といった感じ。特に31日は忙しく、元日にかけての夜は夜中2:00からアイテムを絞って営業を行った。年明けそうそう店の前には行列ができていた。
2007年の幕開け、それはパン屋の厨房で仕事をして迎えた。フランスのパン屋で働く事を目標に掲げていた者にとって本望と言える。同僚のみんなは普段通りの年越しかもしれないけれど、私にとってはとても大きな意味のあるカウントダウン。
2006年の総括、様々な事を考えながら作業をしていた。ラジオの時報に合わせてみんなで「Bonne Annee(今年も良い年でありますように)」と挨拶を交わす。少しして外に出てみたら山の方では花火が上がっていた。とても得した気分で「2007年も、良い年にするぞ」と力が沸いてくる。道行く人々は酒に酔い、仲間と楽しそうに過ごしていた。道端でもワイングラスを傾けながら会話をしている人も多い。そんな人を横目に今ここで仕事をしている事、自分にとってこれが最高の幸せなんだって思う。
今まではグラスを持って騒いでいた立場だったが、今年は違う。人々が楽しい時間を過ごす裏側で頑張っている人がいる事は前から知っていたが自分がそちら側に立てた事が嬉しい。元旦の仕事が終了し穴倉(アパート)に戻り食べたもの。それは、お雑煮。お正月らしさを少しでもと思い、オランダから持って来てもらったパックの“切り餅”と“ほんだし”と野菜でお雑煮を作り、お屠蘇代わりに白ワインを飲み、正月気分を楽しんだ。
無茶苦茶忙しい数日間は23:00開始14:00終了という労働を続けた。
仕事が終了して9時間後に元気に働く為に帰って気分をオフモードに切り替えシャワー・食事・睡眠を取る。仕事仲間とは9時間後に会うと分かっていてもお互い「また後で」とは決して言わない。「また明日ね」と言葉を交わす。意地というか区切りというか、精神的に疲れてしまうから。1月5日くらいから仕事も落ち着き、労働時間は0:00-12:00になった。もうこうなると感覚も麻痺しているので0:00開始でラクだと思う。こんな生活もやってしまえばどうにかなるもので、平均労働時間約12.5時間・17日連続出勤を乗り越え、達成感を味わうことが出来た。